物寂しい雰囲気を放っている暗黒街。
 物乞いが蔓延し、餓死者が日ごとに増えていくこの区域は、落ちぶれた裏世界の人間の終着点である。
 爬虫類のように弱者から金を搾り取っていた高利貸し。隻腕となり用済みとされた闇社会の殺し屋。他にも下らない人間達の成れの果てが転がる街の中。そこのある一角にルナは来ていた。
 錆付いた郵便受けには、生理的嫌悪感を催す、害虫達が巣食っている。錆付いた鉄の扉には下品な落書きがされており、まともな者なら一週間とかからずにノイローゼになるであろう。その建物の主をルナは訪れに来たのだ。

「入るわよー」

 掛け声と共にルナは扉を蹴破った。




「う〜ん、今のところ他の依頼は来てないよ」
 
 癖のある黄金色の巻き毛をいじりながら少年は現状を伝えた。
 思春期が始まったばかりに見える幼い顔立ちの少年はこれでも二十歳を超えている。リビアヤ族特有のふさふさとした耳が頭の上でぴくぴく、と動いている。
 ルナは少年の細い瞳孔を眺めながら魔剣・ヘカテーを高速抜刀する。少年の喉元に現れた黒水晶の刃は薄く発光している。
 並の魔術師なら見るだけで失神しそうな殺気を深遠の瞳に籠め、少年を睨む。

「メル、お前、腐れ騎士団共に売ったでしょ」

 桃色の唇から漏れ出した明らかな怒りを含んだ声に、少年は冷たい汗が背を通り抜けるのを感じた。
 何を売ったのかは明言しなかったルナだが、メルと呼ばれた少年はそれだけで何が言いたいのか理解したようだ。突きつけられた刃に注意しながら口を開く。

「売っただなんて酷いなぁ〜。有効的な情報の使い方をしただけだって」

 へらへらとした笑みを浮かべながら少年は両手を挙げる。万歳三唱、もしくは前時代の宗教の礼拝にも似ているがどちらでもないだろう。
 黄金の光を持つ、珍奇な瞳には反省や後悔など含蓄していない。それはルナの怒りを煽る事となった。

「それが売ったってことでしょうが!! これでせっかく返したあの野郎への借りが増えたじゃない!!」

 怖くなる程に整っている顔が憤怒に歪む。
 やっぱり美人は怒ると怖いな、などと緊張感の無い事を頭の隅で考えながらメルは言葉で遊ぶ。

「借り? あれれ? 僕はただ魔族の変異種が出たって騎士団に教えただけだよ。もちろん有料で。それで、何で借りなんてできるのかな? 魔族を倒すの手伝って貰った? 違うよね。ルナはそんなに弱くないし。なら、何があったのかな? ねぇ、何があったの?」

 にたにたとした笑みを浮かべながら発しられた言葉にルナはうっ、と後ずさりする。

 「ねぇ、何か言ってよ。それともやっぱり何も無かったの? ならこの扱いは酷いんじゃない? 即刻、ヘカテーを収めてほしいな。少しでも傷つけたら、付き纏って慰謝料請求するよ」
「あぁ、分ったわよ!! どうせあんたに言ったって無駄だろうしね!!」
「うわっ酷いな〜、僕が他人の意見を聞かないみたいじゃない。僕だってちゃんと考えてるよ、それが行動に影響するかどうかは別として」
「それってつまり無駄って事じゃない! ……はぁ、初めてあった時はあんなに素直だったのに」
「僕は素直だよ? 自分の意見にね。それに自分の思い道理に動くのなんて人間に求めちゃ駄目だよ。自動人形オートマタじゃ無いんだよ、人間は――――だよね、メティスさん」

自動人形オートマタだって本当は思い道理に動かない。売っているのがそう設計されているだけの話だ」

 高く、そして冷たい声の響きを聞き、ルナは残像が見える速度で振り向く。
 顎の真下を高速で通り抜けた刃を見てメルは引きつった笑みを浮かべる。
 錆付いたドアの向こうには蒼髪の女性が立っていた。












 








〜平穏を彩る奏鳴曲〜
"Short-lived rest"









 















 人々が溢れている大通りを最近開発されたばかりの高速移動四輪駆動機構を搭載した物体――つまり車が通り過ぎる。
 
 百年前に魔術師の数が激減してからは、前時代を支配していたと思われる「科学」の時代となった。
 遺跡に埋葬されているいくつものオーパーツを発掘しては、毎週新たな技術が発見されていく。
 元々魔術によって根本的な理論は解明されていたし、元となる技術が遺跡に眠っているので科学が高速に進歩するのは納得いく現象である。
 今では百年前とまったく違い、こうして街中を車が走るほどまで文明は進歩した。
 

「けど、人間の認識の変化はやはり遅れてる」

 高く、感情の篭っていない声でメティスは呟いた。
 その透き通った蒼い瞳は、電気屋のディスプレイに展示してある映像受信機の画面を移している。
 情報番組のレポーターは科学の進歩によって自然が破壊されてきている、と嘆いている。

「科学が進歩する前から自然は破壊されてきたというのに」
「でも、その速度が急激に上がったのは確かだよ?」
「それも技術の所為では無くて、人間がそこまで自然を破壊するぐらいに利益を求めているからなのでは?」

 メルとメティスの会話を聞きながらルナは足を進める。
 どうせ、詳しい知識も無い自分が議論することではないだろう。ルナはそう思いながら角を直角に曲がる。そして衝撃。硬い肉にあたる感触と共にルナは体勢を崩す。
 
「おぉ、すまんな――――ってルナじゃないか! それにメティスまで!!」

 分厚い肉の塊、正確には鍛えられた男の胸板が上下し、ルナよりも二つ分頭が上にある巨大な男は大声を上げた。
 ティタン族の特徴の一つでもある、その山のような身体をさらに上回る長大な包みを下げている。

「久しぶりウォル」
「久しいなウォル。もしかしてそれは……」
 
 白い陶器の様な指が指したのはその包みだった。
 あぁ、と頷き、ウォルと呼ばれた大男は包みをメティスに差し出す。

「魔槍・コキュートス。要求通り、三連高速演算宝珠に六線星ヘキサグラム型の記憶素子を付けておいたぞ――って此処で開けるなーー!!」

 人通りが多い大通りで包みを開けようとするメティスをウォルは大声を上げて静止する。
 何故だ、と訝しげな瞳で見つめてくるメティスにウォルは重い息を吐く。その姿はどこか哀愁が漂っていた。

「こんな人が多い所で、んな物騒なもん出したら大騒ぎになるだろうが」
「何故だ? 自分に害が及ぶ訳でも無いのに」
「人間は基本的に他人を信用してないんだよ――――てかウォル? 僕を忘れてるよ」

 頬を膨らませながらメルはウォルとメティスの間に割り込む。
 ルナよりも一回り背が低いメルはウォルの視界に入らなかったのだろう。
 ウォルがメルを見つけられなかったのは今回だけではない。

「おぉ! メルまで居たのか。悪い悪い。まぁ気にするな」
「反省しないから毎度毎度同じ事を繰り返すんじゃないの? まぁ、別にいいけどさ……」

 そう言って笑顔になったメルの頭をウォルは撫でる。その扱いに顔を朱に染めたメルがウォルの足に、体重を乗せた蹴りを放つ。それに腹部への突きを持って返すウォル。じゃれ合いから喧嘩に発展する直前の絶妙なタイミングで止めるメティス。
 それはいつも通りの平和な光景だった。