照明を落とした暗室。 壁に繊細な絵画が描かれ、豪華で、そして傲慢さを感じさせない部屋は闇に支配されている。 月の救済すら拒絶した冥闇の空間に声が響く。 「本当にこれであいつを助けてくれるのだな」 縋り付く様な音色を持つ声に、闇の中ですら視認できる漆黒よりも暗き闇は哂う。 「あぁ、お前が約定通りに動けばな。我等はお前等とは違い約定は果たす」 闇は唯一の光源である紅き瞳をすぅ、と細める。 「それよりもお前等の方は大丈夫だろうな」 「ああ、心配無い。そんなことより本当にあいつを……」 その言葉が放たれると同時に、闇は一層激しく哂う。 それは愉悦と共に憤怒を含んだ旋律。 闇の中に響く禍唄と共に、部屋を覆う魔力は段々と濃度を増していく。 一般人ならば当たるだけでショック死するような殺気と悪意を含有した魔力が飽和状態まで達したとき、一陣の風が吹いた。 そして部屋に静寂が舞い降りた。 "Ruin swoops down calmly" |
――――轟音。 物体が爆ぜる音が、荒れ果てた大地に鳴り響く。 爛々と灼熱の炎を身にまとう太陽が、透き通るような青空に漂っている。 周りに一切の遮蔽物が無いこの砂漠では、焼けるような太陽光は殆どの生物を排除する。 その中でもしぶとく生活している人間は、生物の中で一番鈍感なのだろう。 「死ねぇ!! お世辞にも綺麗とは言えない声によって少女は現実へと引き戻される。 鉄すら融解する超高温の炎の弾は、陽炎を従えて高速飛翔してくる。 数十に及ぶ亜音速の焔は防御も逃避すらも許さず、その身を業火で焼き尽くすだろう。 ――普通なら。 魔術の付加により身体能力が数十倍に跳ね上がった少女にとって、この程度の速度の弾など容易に回避できる。 少女は一陣の颶風となり、高速飛来する炎を避ける。そのまま炎弾を放った男へと飛翔するが、男は臆病なまでの早さで後方へ退避する。 男は逆三角を描く異様な眼を少女に向ける。その眼には下等である筈の人間が、自身に牙を剥くと行為への驚愕と憎悪。腐った下等魔族によくある光だ。 黒ずんだ瞳に、皺だらけの肌。容姿の鮮麗さが実力を表す魔族において、この男は下の中と言ったレベルであろう。 男が再度呪文を紡ぐ前に倒そうと、少女は地と水平になり疾走する。 魔剣・ヘカテーの迅雷の刃が飛燕を超える速度で男に迫る。 右腕を振り上げ、ようやく防御行動を起こした男であったが遅すぎる。 閃光と化した刃は男の右腕ごと肺を、肋骨を、胃を、腸を切断する! 少女が繊細な手で操るのは最上大業物級の魔剣、"ヘカテー"。 夜のような黒水晶の刃は、魔力を込められ銀色に輝いている。子供の背丈程はあるその刃は、少女には不釣合いだった。 鍔は僅かに湾曲しており、柄の中心部分には高速演算宝珠でもあり、魔術編成式記憶素子でもある銀色に輝く水晶。 それは並の魔剣士では手に入れることができない最高級の魔剣である。 僅かな静寂の後、支えを失った上半身は滑り、地に倒れる。 赤黒い内臓と血液を噴き上げながら、下半身もゆっくりと地へを還っていく。 完全に相手の生命を略奪する一撃。上級魔族でもない魔族がこの状態から復活できるはずがない。 ――しかしそれならば少女はこんな仕事に呼ばれはしない。 灰となり地に還った下半身とは対照的に上半身は蠢いている。 それは男の皮膚の下を這いずり回り、男の後頭部から遂に姿を現す。 ぼごっ、と嫌な音を立てて弾けた後頭部からは、金色の体毛を持つ狼の顔が生えていた。紅い瞳を少女の方に向け、おぞましい咆哮を上げる。 それを引き金に皮膚の下の異形は姿を現し始める。 ――右腕からは禍色に輝く、三つの眼を持つ猛禽が甲高い奇声を上げている。 ――胸からは細長い耳をもった、整った顔立ちの幼児が泣き叫んでいる。 それはどこまでも醜悪な光景だった。 あまりの気持ち悪さに少女は思わず口を塞ぐ。 分裂、進化する魔族だと聞いていたが、ここまで酷い増殖をするとは。 少女が心中で零した言葉に反応したかの様に、異形達は完全に姿を顕現させた。 それぞれが狂ったような叫び声を上げ、少女に狙いを定める。 既に元の男の姿は無く、三体の異形は各々の方法で少女に襲い掛かる。 大地を蹴りつけ、黄金の疾風となった狼は間合いを詰める。 元の魔族とは比べ物にならない速度で疾駆する異形に、少女は眼を見開く。 どうやら知能は下がったらしいが、身体能力は格段に上昇したらしい。 しかし、これでも一流の魔剣士。一瞬で状況を判断し、行動に移す。 少女が魔剣・ハカテーに魔力を送り込むと、黒水晶の刃は輝きを増す。 「 紡がれた 刹那、大気を凍らせ氷塊が生まれれ、槍の形をした氷は、黄金の狼を襲撃する。急激な速度減少行動を行い停止した狼の前方に、氷槍は突き刺さる。難を逃れたかに見えた狼だが、極寒の第二波によって身体を穿孔される! 地面に縫い付けられた狼だが、それも一瞬。僅かな時間で氷槍は氷解し、狼を解放する。 この灼熱の砂漠では氷系の魔術は威力が半減する。そんなことは少女も理解している。ただ、僅かな時間が欲しかっただけ。 高速の細胞分裂によって引き起こされる熱で、白煙をあげながら狼の傷口は再生されていく。 数刻前の姿を取り戻した狼が次の瞬間知覚したのは黒。艶やかな黒髪が狼の視野を一瞬妨げる。そして狼が再び視界を取り戻すことは無かった。 円弧を描いた足に連動し、水平の閃光と化した刃は狼の喉元を切り裂く!! どす黒い血を噴き上げて倒れていく狼の、虚ろな瞳を見ながら、少女は死を運ぶ禍唄を謡う。 「灰燼と化せ―― 凛とした声に反応し、ヘカテーは暴虐の魔術を発動した。 描かれる魔術編成式は、大気中を漂う炎と雷の精霊を無理やり使役する。高尚なる精霊を力によってその配下に収める不遜な術式は、その力を開放する。 地に平付す狼の身体が膨れ上がり、破裂した。内部から爆裂した狼は肉を、血を、臓物を自身を形成していた物質が、全て塵と化した。 その禍々しい粉塵は大地に鮮烈な華を咲かせる。 人間のものとは違う黒い血液は、水に飢えた砂漠に潤いをもたらす。 塵になるまで分解すれば復活はしないだろう、との判断で少女はこの魔術を発動させたのだ。 少女は、狼の最後を見届ける前に後方へ素早く飛翔。次の瞬間、少女の居た場所を、怪鳥が鋭利な 地に足を着け魔剣・ヘカテーを構えた瞬間、何条もの雷が少女を襲う。 それは整った顔立ちの幼児が展開した 絶縁体すら通電する高電圧の刃は対象の全てを焼き尽くす。 単体では勝てないと理解したのか異形達は集団で攻撃を開始したのだ。 吹き上げる白煙が風によって攫われ、中から現れたのは黒炭になった死体ではなく、一人の少女。 雷獣の獰猛な牙は、少女が刹那の間に展開した耐雷結界によって防がれたのだ。 異形達の顔に驚愕が張り付く。 反撃を開始しようとした少女だが、後方から異常な量の魔力を感知する。 一瞬敵かと思い身構えた少女だが、すぐに構えを解く。 数十の雷が大気を切り裂き、異形達へと猛襲する。電磁の奔流は異形達を黒炭へと変換させた。 しかし、異形達はまたも蠢きだし、増殖しようとする。 だが、それを見越したような極炎の焔が異形達を完全に消滅させた。 「ルナ・カイオス・ダアト第一級魔剣士だな。この件は我等ヴァーミリオン皇国騎士団が受け持つこととなった」 魔術師のみで構成されたエリート集団。 ヴァーミリオン皇国騎士団とは何か? と聞くと、殆どの人間はそう答えるであろう。 魔術師が激減したこの世界では、魔術師の保有量が国のステータスとなっている。 その中でも、特に魔術師の多いヴァーミリオン皇国が、他国への誇示の為に作った騎士団。 他の魔術師達と変わらず、 といっても、その実力は大陸最強と言われる騎士団だけあって強い。 その騎士団がこんな件に出てくるとは思えずルナは内心驚愕する。 だが、実際に出てきている所から見ると何か裏でもあるのだろうか。 ルナは思い浮かべた想像を頭を振ることで排除する。 深く詮索しない方が身の為だ。 「分かったならさっさと立ち去るがいい」 先頭に立っていた、堅牢な鎧に身を包んだ男が低い声で言った。 兜から覗く、純粋な魔術師でない術祈士を侮蔑する眼が気に入らず少女――ルナは睨みつける。 殴り飛ばしたい気分に駆られたルナだったが、呪文なしで魔術を行使できる魔術師に、それも上級の魔術師に刃向かったりはしない。 ルナはその程度には理性が働くのだ。 寂れた家屋。 そう表現するしか無い程劣化した木造の家の中に三人の人間はいた。 所々解れている座布団の上に座っているのは、白い髪に、同じく白い髭を携えたこの村の長。 その隣にちょこん、と正座しているのは、胡桃色の瞳が可愛い五歳ぐらいの女の子。 小さな机をその二人の間に置いて座っているのは黒髪の少女、ルナ。 ルナは依頼人であるこの老人に報酬を受け取りに来たのである。 ふぅ、助かりました。これが報酬です」 白髪の老人はそう言って大量の札束を差し出す。 その枚数にルナは思わず驚嘆の声を漏らす。 ヴァーミリオン王国、シンシャ市、ミッド村。 そこは王都から丸五日かかる距離にある過疎化が進んでいる村。 ただでさえ広大なヴァーミリオン王国。こんな末端の村まで政治は行き届いていないらしく、かなり荒れ果てている。 木造の家屋は今にも崩れそうで、僅かな風が吹くたびに揺れている。荒廃した大地には作物はあまり実らず、家畜も数を減らしていく。村の人間は老人ばかりしかおらず覇気が無い。 ここ最近の文明発達の速度に取り残された末端の村の典型的な風景だった。 そんな風景を事前に見ていたからこそ、この額は信じられないものだった。 「こんなにいいんですか!?」 思わず声を上げたルナに老人は微笑みをもって返す。 「えぇ、あなたのおかげで村も救われました。それにお金なら王国の騎士団からの寄付がありますから」 それに術祈士様にはこの程度の報酬でなければ失礼でしょう、と老人は言った。 その言葉にルナは怪訝な表情を浮かべる。 確かに術祈士は多くの報酬を要求する。 それは魔力自体を持つ人間が少なくなった時代で、 ルナは確かに術祈士の しかし、術祈士よりも数の少ない魔術師達が、下等種と侮蔑する一般の人間に金を与えるなど考えられない。 頭の中に数々の忘れたい思い出が再生され、ルナはこの多額の報酬を断ろうとした。 だが―― 「お姉ちゃん。もらってくれないの??」 「いいえ、ありがたく頂くわ」 ――瞳に涙を滲ませて懇願してくる少女に、ルナは反射的に肯定してしまった。 気付いた時にはもう遅い。笑顔で札束を渡してくる少女。その奥で微笑む老人。その老人の笑顔はこう語っていた。あぁ、受け取ってしまいましたね、と。 ルナは無邪気に笑う少女に、金髪の幼馴染の幻影を見た。 |